私のこと
三輪知可|Tomoka Miwa
孤独と静寂を歌う、シンガーソングライター
歌うことは魂の震え。
人生の切なさも、愛も歌にする
をモットーに曲と共に人生を描く。
About
3月22日生まれ。
幼い頃から「すべてを歌にしてしまう」子どもだった。
3歳で本物のピアノを欲しがり、10歳で地元のお囃子団に入り太鼓や笛に触れる。
小学校では音楽クラブに所属し、チェロ、サックス、フルート、ピッコロなど様々な楽器を経験。
中学では吹奏楽部に入り、ピッコロでソロコンテスト金賞を受賞する。
音楽が日常だったその流れは、15歳のときに突然断ち切られる。
高校入学直後、難病・全身性エリテマトーデス(SLE)を発症。入退院を繰り返し、身体が思うように動かない日々が始まった。
そんな中、ある瞬間、強烈なひらめきが訪れる。
「私は、歌うんだ。」
この確信を境に、歌は“夢”ではなく“生きる理由”となった。
Music & Life
3歳からYAMAHA音楽教室でピアノを習い、7歳から個別レッスンにてクラシックを習う。
23歳で音楽専門学校にジャズ専攻で入学。
ジャズ理論を今田勝氏に、ジャズボーカルとインプロビゼーションを石井智子氏に師事。
在学中にジャズコンテストで入賞し、2007年よりライブ活動を開始する。
しかし、活動の最中に再びSLEが再発。
薬の副作用により、世界が灰色に見えるほどの苦しい時期を経験する。
そのとき自分に投げかけた問い。
「明日死ぬとしたら、三輪知可としてどう生きたい?」
返ってきた答えは、ただ一つだった。
「私は、歌いたい。」
この問いと答えが、プロ歌手として生きる覚悟を決定づけた。
Original Works
橋本信ニ氏、梶原まりこ氏に師事し、ジャズやボサノバを軸に表現を深める一方、
「どうしても自分の言葉とメロディで伝えたい」という衝動から、オリジナル楽曲の制作を始める。
32歳で再びSLEが再発し活動休止を余儀なくされるが、
復帰ライブの場で生まれた楽曲「約束の日」をきっかけに、創作は新たな扉を開く。
以降、全楽曲を自身で作詞作曲したオリジナルアルバムを2枚リリース。
これまでに
・ジャズアルバム 2枚
・オリジナルポップスアルバム 2枚
を発表し、CD発売ツアーやレコ発ライブは全国各地で満員御礼となる。
飾らない言葉と、身体の奥から立ち上がるような歌声は
「心に深く響く」「人生の節目で聴き返したくなる」と多くの支持を集めている。
Inspiration
海とイルカを愛し、スキューバダイビングの資格を持つ。
自然の中で受け取る感覚は、三輪知可の音楽の重要な源。
波のリズム、風のささやき、沈黙の深さ。
そこから生まれたメロディに、人生の光と影を織り込み、歌として紡いでいる。
Now
現在はシンガーソングライターとして、全国各地で弾き語りライブを精力的に展開中。
三輪知可の音楽が、あなたの心の深淵に触れ
明日を生きるためのほんの少しの力となれたなら。
どうぞ、ここから彼女の世界に触れてください。
ともに震え、生きる喜びを味わい尽くす。
それがたとえ悲しみや苦しみであっても、光はきっと見つけられる。
三輪知可の歌は、人生の奥底に触れ、静かに、しかし確かに心を揺らす。
出演実績
南青山 Body & Soul
目黒 Blues Alley Japan
中目黒 楽屋
学芸大学 珈琲美学
六本木 Alfie
六本木 claps*
六本木 Satin Doll
乃木坂 All of Me Club
六本木 My Scotch
六本木 club-t
六本木 Boston Dreams
銀座 No Bird
銀座 The Deep
赤坂 November Eleventh
赤坂 B flat
赤坂 Kei
赤坂 G’s bar
恵比寿 art cafe friends
原宿 モミノキハウス
代々木 NARU
浅草 Mars
神保町 on a slow boat to…
新宿 J
高田馬場 Gate One
高田馬場 Sunny Side
池袋 Apple Jump
池袋 P’s Bar
池袋 Independence
吉祥寺 Sometime
吉祥寺 Strings
新横浜 Charlie’s Club
柏 Woo
山形 Noisy Duck
盛岡 すぺいん倶楽部
水戸 森の音楽会
浦安 Seagull
浦安 たまりば
舞浜 b-style
船橋 Coquelicot
名古屋 Star Eyes
名古屋 Miles
名古屋 Lamp
中津川 マジョリカバンブー
新潟 Flash
長岡 音食
宮崎 pole pole
宮崎 deijle
那覇 Parker’s Mood
宮古 すけあくろ
Biography
3月22日
母の実家の宮城県の病院で生まれる。
3歳
ピアノが欲しいとねだり、両親がおもちゃのピアノを買い与えるも、「これじゃない!本物のピアノが欲しい!」と言ったらしく(記憶がない)両親が苦労してYAMAHAのアップライトピアノを購入してくれる。YAMAHA音楽教室に通い始める
10歳
友達の紹介で地元のお囃子団に入り、太鼓や笛を習う。小学校の音楽クラブに入り、様々な楽器に触れる。チェロ、サックス、フルート、ピッコロなどを引く機会を得る。
12歳
中学校に入り、吹奏楽部へ入学。ピッコロ担当になる。中一ででたソロコンテストで金賞を受賞する。
15歳
高校に入学。吹奏楽部に入部し、全国コンクールをめざす中、難病全身性エリテマトーデス(SLE)を発症してしまい入退院を繰り返す生活に。
18歳
なんとか卒業したものの、まともな生活が送ることができず、祖父母の家で療養生活を送る。
23歳
かねてより希望していた音楽の専門学校に入学。ジャズ理論を今田勝氏に、ジャズボーカル、インプロビゼーションを石井智子氏に師事する。ジャズコンテストで入賞を果たす。
24歳
ライブ活動を始め、専門学校を卒業するも再び持病のSLEの再発により、入院、療養生活を余儀なくする。
25歳
薬の副作用が辛く、世界が灰色に見えていた時期。「明日死ぬならどう生きるか?」を自分自身に問い、出てきた答えは「私は歌いたい」だった。覚悟が決まり、プロ歌手としての道を行くことを決める。
26歳〜
橋本信ニ氏、梶原まりこ氏からジャズ、歌の本質を叩き込まれる。
中嶋錠二氏をピアニストに迎え、初のミニアルバムを発売。同氏と共にツアーを行う。
その後、成田祐一氏、トオイダイスケ氏、セバスティアン・カプテイン氏とともにライブCD「colors in silence」を発売。同じく初の沖縄遠征ツアーも行う。
32歳
再びSLEの再発があり、活動休止を余儀なくされる。
復帰した同時に、オリジナル曲を作りたい、という望みが湧いてくる。
水戸の音楽会で復帰の「おかえり」のライブをしてくれた時に
「約束の日」が生まれる。
その後、、、
全楽曲自身の作詞作曲によるオリジナルCDを2枚発売。
現在、
シンガーソングライターとして、全国で弾き語りライブを精力的に行っている。